大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所飯塚支部 昭和44年(ワ)140号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、事故の発生。

訴外佐藤春美が、原告ら主張の日時場所で、交通事故(その事故内容は暫く措く)を起して負傷し、その翌日たる一九日に死亡したこと、右現場が非舗装道路であつたことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、当日訴外春美は筑穂町内野の実家に赴いていたが、同町長尾の自宅に帰るため、午後一〇時頃、自動二輪車に乗つて本件国道上を通行し、原告主張の時刻頃前記事故現場に達した際、先行していた訴外岸川英機運転の自動車の右側を追抜き、直進しようとして路面の凹み(約二米×約一米×中心部の深さ約二〇糎で当時灌漑用水が流れ込み水たまりになつていた)に車輪を落し、ハンドルをとられて転倒し頭蓋骨々折、頭蓋内出血等の傷害を蒙り、その結果約八時間後の昭和四二年六月一九日午前六時二五分頃、飯塚市吉原町青山外科病院で死亡した事実が認められる。他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

二、国道管理の瑕疵について

<証拠>をあわせると次の通り認めることができる。

(一) 一般国道二〇〇号線は、北九州市から直方、飯塚両市を通り事故現場の南で国鉄筑豊本線と平面交さし、更に冷水峠を経て筑紫野町に達していたところ、通行車輛の増加(本件事故当時で二輪車を除き一日約六、〇〇〇台。長距離輸送の大型トラックが多かつた。)により、右踏切で交通渋滞を生じ、将来なおも通行量の増加が見込まれていたので、昭和三六年頃からの一般的な道路拡張、改修工事の一環として右踏切りを廃止し立体交さ化する工事が立案されていた(着工は事故後の和昭四二年一〇月、完成は昭和四四年三月)。

(二) 立体交差化工事は、篠豊本線のレールを西側に迂回させ、国道は従来の踏切りを中心として、飯塚側約三〇〇米、筑紫野町側約六〇〇米の二点で切断し、これをその南方を迂回する新道路で連結しその間で右筑豊本線と立体交差させ、切断部分の旧国道は廃止するというものであつた。本件事故はその廃止予定部分で発生した。

(三) 従つて、右廃止予定部分は砂利が敷かれ、舗装されていなかつた(当該部分を本格的に舗装するには約二、〇〇〇万円を要し、廃止予定の道路にこれだけの支出をすることはできないとされた)。

(四) しかし交通量の多い砂利道の路面は損傷しやすく、放置しておけば危険であるので、これを補修し安全を保持するための対策は一応とられていた。即ち、同道路の維持、修繕その他の管理はいわゆる政令指定区間外であつた関係で被告福岡県知事に委任されていたところ(道路法第一三条参照)、同県知事は被告県飯塚土木事務所をしてこれを管理させていた。

(五) 同事務所には合計九名の補修担当係員と合計一五名の道路工手が所属し、本件道路を営む管内国・県道をその重要度に応じて毎日一回から三日に一回くらいの割合でパトロールし(日曜・祭日及び夜間は原則として除く)、損傷個所を発見すると、必要に応じてバラスを入れたり、グレーダーによる不陸整正工事をしたりして来た。

(六) 本件事故発生当日は日曜日で、パトロールは実施されていなかつた。前記証人中野久四郎は、その前日(六月一七日)事故現場をパトロールしたが穴は大してあいていなかつたと供述しているが、交通量の多い砂利路面は、朝修理していても午後には損傷していることがあり<証拠略>特に前記認定の如く同所は灌漑水が流れ込んで雨が降らなくても水たまりが出来る場所であつたから、車輛通行による路面損傷の度合いは他に比して大きかつた。更に夜間や日曜日といえども車輛の通行が絶えないのは公知の事実である。よつて、前日にパトロールしたときはそれほど損傷がなかつたからその翌日も危険がないと言うを得ないのは明らかである。

(七) よつて国道管理者としては、かかる個所は休日といえどもパトロールを実施し、損傷個所の発見と補修に務めるとか、危険は夜間通行者に多いのであるから、前記の理由により本格的な舗装ができないならば、簡易舗装をするとか、適当な照明設備を設けるとか、夜間の運転者にも識別できるような標識をもつて危険を知らせるとかの処置をとり、道路が公共の用に供されるについて一般に具備すべき安全性を維持すべきものであつた。しかるに、当時本件個所は、かかる処置がとられることなく、路面に凹みができたままで放置されていた。従つて本件道路の管理には瑕疵があつたというべきであり、本来の管理者たる被告国は国家賠償法第二条一項により、よつて生じた損害を賠償すべき義務がある。また被告県は本件道路の管理費用負担者であるから(道路法第四九条)、国家賠償法第三条一項により同じく損害賠償の責を負うものである。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

三、損害の(一)財産上の損害

<証拠>をあわせると、亡春美は昭和一〇年二月二〇日生れの健康な男子で昭和三〇年から事故当時まで筑穂郵便局に勤務し、収入は、本件事故がなかつたならば、昭和四二年において年額五六万三、三〇七円を下ることがなかつたものと認められる。原告ら主張の月収五万円(年収金六〇万円)については、これを認めるに足る証拠がない。しかして、右証拠によれば、亡春美は本件事故がなかつたならば、すくなくともあと二二年間は同様勤務して右の収入を得ることができたこと、本人の生活費は一カ月金二万円を超えるものではなかつたことを認め得るから本人の年収から右生活費(年間金二四万円を控除するとその年収(純益)は金三二万三、三〇七円となる。そこで本件事故による亡春美の逸失利益は、総額金七一一万二、七五四円となり、ホフマン式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を差引いてその現在額を求めると、金四七一万三、八三六円(円未満切捨)となる。この認定を左右するに足る証拠はない。

四 <証拠>によれば、原告光子は亡春美の妻、同啓子はその長女で亡春美の死亡によりこれを相続したから、右の得べかりし利益の喪失に基く損害賠償請求権は、原告光子が三分の一に相当する金一五七万一、二七八円(円未満切捨)、原告啓子が三分の二に相当する金三一四万二、五五六円の割合でこれを相続した。この認定に反する証拠はない。

五、過失相殺について

<証拠>をあわせると、前記事故現場は亡春美方(筑穂町長尾)と同人の実家(同町内野)を結ぶ順路であつて、亡春美はここをよく往復していた。当日も正午頃一度往復し、さらに午後九時頃にも右自宅から右訴外宗松を送るため自動二輪車を運転して事故現場を通つていて、本件事故は二度目の帰途発生したものである。よつて、亡春美は当時その路面状況を熟知し、慎重な運転を要することはわかつていたと認めることができる。しかし、前記各証拠によれば、亡春美は事故当時ビールなどを飲み相当の酒気を帯びて運転していたことなどが明らかで、その結果慎重な運転への配慮を欠き、これが本件事故の一因を為したものと推認することができる。してみると管理の瑕疵による被告らの責任はうごかすことはできないが、民法七二二条第二項を適用し損害賠償の額を定めるにつき亡春美の過失を斟酌するを相当とし、右損害金額は、その一〇分の四を減ずるを相当と認める。<証拠排斥略>

よつて、被告らは財産上の損害の賠償として、原告佐藤光子に対し金九四万二、七六六円(円未満切捨)、原告佐藤啓子に対し金一八八万五、五三三円(円未満切捨)を夫々支払うべき義務がある。

六、損害の(二)慰藉料

<証拠>によれば、原告佐藤宗太郎は亡春美の父、原告佐藤アヤノは亡春美の母であることが明らかで、この認定に反する証拠はない。しかして、本件事故により亡春美の妻である原告光子、長女である原告啓子、両親である原告宗太郎、同アヤノが重大な精神的打撃をうけたことは容易に推認することができる。そこで前記認定の事故発生の状況、本人の過失、家族関係その他諸般の事情を考慮し、被告らは原告光子に対し金七〇万円、爾余の原告らに対し各金三〇万円の支払をしてこれを慰藉するを相当と認める。他にこの判断を左右するに足る証拠がない。 (岡野重信)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!